日常の足跡

ぽとすと申します。線維筋痛症、慢性疲労症候群、AC /日々の養生について

7月4日瞑想

朝六時から瞑想会。

zoomに入室したら、画面越しに「皆さん、おはようございます」と静かに先生が微む。毎回先生の顔を見るだけで少しほっとする。やはり、アーカイブでするより先生との交流があるリアルタイムでするのがいいなと思う。昨日は久しぶりに手がしびれるくらい痛くって、何度もアーカイブで瞑想やヨガニドラをしていたのだけど気持ちが落ち着かなかった。去年茶碗も洗えないくらい手が痛かったことを思い出して、またあんなに痛くなったらどうしようと思ったり、しまいに、夕方、一人で手をさすっていたら、だれでもいいから一緒にいてほしいと泣きそうになってしまった。

 

今日も完全呼吸法からウジャイ呼吸。最近、吐きながら肩の力を抜くというコツがつかめてきて、やっているうちに胸が開いて首が自然にスッと天井のほうに伸びていく。

目を瞑って呼吸に集中していると、「呼吸のコントロールを手放していきましょう」と聴こえてきて、何も考えずに吸ったり吐いてたりしているのをただ眺める。段々自分の内側の深いところに入っていく感覚があって、そこはすごく静かだった。昨日あんなに心が乱れていたのが嘘みたいで、波が全く立っていない湖畔を眺めながら、何かとてもやさしいものに包まれているみたいだった。

 

終わった後、先生、他の受講生たちと感想をシェアするとき、昨日痛みが強かったこと、だれでもいいから一緒にいてほしいと思ったこと、でも、今日瞑想ですごく内側が静かで安心できたことを言うと、「痛みが強い時、だれでもいいから一緒にいてほしいという感覚は、過去の何らかの出来事を思い出しているんでしょうね」と言われて、なるほどと思った。私はただ、意識が外側に向いてしまっているから、だれでもいいから一緒に居てほしいと思うのだと思っていたけど、きっと私は強い痛みのある時に、「暴力」「死」を連想している。家族から、怒鳴られた時、物理的に殴られているわけでもないのに体中とても痛かった。そして3年前に自殺未遂する直前も兎に角体が痛くて痛くて耐えられなかった。きっと昨日痛みで不安になったこと、泣きそうになったこと、だれか一緒にいてほしいと思ったこと、これは過去の記憶が呼び覚まされてしまっているのだ。

 

そう考えたら、この痛みと言うのは恐怖感と相乗効果になって増大して感じているだけで、そこまで怖がるほど痛くはないのかもしれない。